「油山トレーニング日記」                平成17年4月1日
 昭和43年より始めた早朝サイクリング。自宅から油山を自転車で、1日最低10Km、それ以上乗っても10Kmとして、雨の日も風の日も、38年の歳月をかけて平成17年3月20日で4,000日目地球一周の距離(赤道上)40,000Kmを達成しました。
 わずかな距離でも地道にコツコツ続けたことが、こんな記録になりおかげさまで今日まで健康で仕事を続けられたことに感謝しています。
 これからも走れる限り、継続していこうと思います。

「社会人講話」の講師として
9月25日(土)福岡市立和白丘中学校にて

 本校中学3年生では、総合学習において ”生き方を学ぶ(進路)”をテーマに一般社会人の方を講師に「社会人講話」の講座があります。

タイトルは自転車は私の恋人

 約1時間の講話。 私の人生経験などホイルを組み立てながらお話をしていく中で、36Hフロントで8本組設定のスポークを 6本組で組始めたので、途中までで失敗しました。 
 口と手どちらも集中力がいるのに、「二兎を追う者は一兎をも得ず」のことを身をもって知りました。
それでも無事お話する事ができました。

     7月16日〜19日夏休み (名古屋〜岐阜)    

 福岡空港〜中部国際空港〜熱田神宮〜岐阜駅へ。 そこから
車で揖斐川上流の横山ダム〜、またその上の日本一大きいダム建設中の工事現場を見学。
 もう水が貯まると二度と見られない光景 このスケールの大きいこと驚きである。
宿泊は マンション・コテージ・旅館と、多彩に選択。
板取川温泉 湯本すぎ嶋で 親子全員集まり、 そこで子供のお嫁さんと今度お嫁さんになられる方も交えて昼食会を開催。 
温泉あり幸せな気分にひたった。
 自然の中、青い空・緑豊かな森 ああ・・・とても空気がうまい。
子供たちの好意によりこの旅行ができ感謝している。
川浦渓谷〜吾妻清水〜銚子の瀧〜飛弾高山〜午後8時の
飛行機で帰る。               
                              「洋」

社会人講話                平成16年9月30日
「親子旅行」                  平成17年8月1日

和白丘中学校生徒の皆さんへ

 平成16年10月15日に、社会人講話のお礼の言葉として生徒さん25名から文章で送ってきました。

 一人ひとりの文面を読んでいくうちに、将来の希望とか感謝の心やありがとうという気持ちがあらわれていて、私は感激しました。
 中学3年生、純粋で素直さがあり、「今の若い人は捨てたものではない」と肌で感じました。私は、この道一筋50年目にして始めて先生と呼ばれました。
 これを機会によりいっそう勉強して、教えられる仕事に磨きをかけていこうと思います。                      

                     平成16年10月24日 
                  長住サイクル 船越洋治                       

社会人講話、お礼にかえて       平成16年10月31日

第2話
タイヤとブレーキ取り付け替え

 当時の実用車のタイヤは硬くて、ベルト状のものなどもあり力も技もない私は取り付けるのに苦労しました。
耳つきタイヤ(BE)ばかりで、その硬いタイヤを工具も使うことが許されず、素手で取り付けることが修行でした。そのため指先や爪などすり切れてしまうほどでした。
 今のクリンチャータイプ(WO)は、まだ日本には少なく、現在のタイヤ取り付け作業など簡単で当時から見れば夢のようです。
 ブレーキはコースターが多く、この修理も大変で真鍮銅のリングの取り替えやヤスリをかけて、すたれた部分の補修作業が主でした。
ハンドブレーキも少しづつ出回ってきてその修理は、ライニング張り替えといってベルトの加締め部をはずし、新しいベルトをちょうど良い長さに切って、鋲止めしていました。
 すべてが手作業の毎日、その中で鍛えられました。

                              「洋」

「自転車屋人生の思い出」           平成17年7月1日

 長年油山に登っていると、四季折々の山の表情や動物との出会い、人との出会い、その度に自然の恵みを受けて生かされているのだなと、最近特にそう感じます。
 11月10日(水)午前6時〜約30分間、東の空に金星と木星との間に三日月が手のひらに収まるほどの間隔で一直線上に並んでいるのが見られ、とても感動しました。

油山は私の感性を磨くところ          平成16年12月1日

第1話

 修行の時代1955〜1960
中学を卒業して15才よりこの道一筋。戦後10年やっと日本も立ち
直りかけはじめたころでした。 
 自転車は物を運ぶ道具で実用車、運搬車ばかり。市場の魚屋さ
ん、肉屋さん、八百屋さん、酒屋さん、米屋さん、乾物屋さん、氷屋
さん、それに大エさん、左官屋さん他いろんな職業の人たちが仕事
に使っていました。今のバイクや軽四輪の役目をしていた時代です。
 仕事の内容は錆こけた自転車の掃除、分解掃除 部品も豊富に
ない時代でしたのでほとんど修理。古タイヤなど少し程度がよいもの
は焼き付け補修して中古自転車などに使っていました。 
 朝早くから、夜遅くまで働き、休みも少ない日々の中で、
将来独立して店を持つまでは、と毎日が勉強でした。                        
                                     「洋」

「自転車屋人生の思い出」           平成17年6月1日

 新年明けましておめでとうございます
今年も平和で良い年でありますよう、そして
健康で心豊かな生活ができるように努力していこう。
 一年過ぎるのは早いもので、計画と目標を持っていないと
時間の浪費になりますね。
 私は今年4月でこの道一筋50年目を迎え、また新たな
目標にチャレンジします。
同じ仕事をしていても難しいことが次から次へと出てきます。
これが勉強というものでしょう。だからそれに向かって行くこと
から希望がわいて、やる気が出てくるのではないでしょうか。

「希   望」                    平成17年1月1日

 1955年4月25日より始まったこの仕事、今年は50年の節目を迎えました。
 半世紀、いろいろありましたが、ここまで続けられたのは、この仕事がシンプルだけど興味尽きないほどに奥深く、人が関わらないと動かない道具で、宇宙旅行も可能な時代に自動操縦が出来ない神秘性があり、かつ機械文明の元祖でもあることです。
 200年以上も続いている、地球に優しい乗り物・・・
スポーツに、健康づくりに必要とされます。
また自転車を楽しみながら、きれいに乗って頂けるよう、これか先も私の天職として、皆さんと勉強していこうと思います。 
                             「洋」

「この道一筋50年」                平成17年5月1日

 1月10日に、「豊後高田 昭和の町」を見学してきました。
センチュリーランでおなじみの国東半島北西の半島入り口にあり静かな町並みです。昭和30年代のお店が約50軒ほど昔の面影を残しています。
 一番目につくのがやはり昔の実用車、運搬車、荷物を運ぶのが目的の自転車、紙芝居をするためのツールになっていた時代の自転車、リヤカー、自転車バイクなど。
 駄菓子やの夢博物館ではブリキのおもちゃ、電気製品、映画のポスター、アナログ商品がたくさんありました。町並みの風景を演出しているのがやはり自転車のようで落ち着きます。
 また、この町並みに愛着を感じる年齢層は何歳ぐらいか振り返ってみると、1925年〜1955年代生まれの人達でしょうか。
 今後、この町並みがどのように変わっていくのか?皆さんの生活の継続を願い、そして維持管理が出来て末永く続いてほしいものです。

「昭和の町・商店街」                平成17年2月1日

 2月11日(建国記念の日)、今年になって久しぶりの青空。
午前7時30分頃から佐世保方面へドライブをした。
港に着くと潮の香りに誘われ、冬の海にしては波静かで、初めての九十九島めぐりとなった。
遊覧船パールクイーンで約1時間のクルージング気分を味あう。海水は透明度が高く、島々は海と空とのバランスが取れていてとてもきれいでした。 
 「西海国立公園九十九島」について!
佐世保港から北へ25q、平戸瀬戸まで連なる大小208の島々を九十九島といい、島の密度は日本一といわれています。
平戸諸島、五島列島などの外洋性多島海群とともに、日本本土最西端の海の国立公園である。
 佐世保近海の島々は南九十九島と呼ばれ、一つ一つの島が独特の表情を持ち、とりわけ美しい海峡です。
 時間に余裕を持ち、日本の島々をのんびりサイクリングしていきたいですね。 

「冬の海」                       平成17年3月1日


「 日本海(敦賀港)〜太平洋(名古屋港)サイクリング」
       1940年2月9日生まれの65才
         8月14日〜8月20日     

 8月14日福岡天神午後9時発夜行バス〜京都八条口に15日午前7時10分着〜
JR東海道線で琵琶湖東北側の街長浜で下車旧北国街道沿いに広がる長浜の
中心街・ガス灯や建物レトロな雰囲気が漂う・・・ホットする気分になる。
この街は2006年(NHK大河ドラマ山内一豊)の舞台になる
またこれからサイクリングコースの関ヶ原も・・・
 敦賀駅に正午ころ着く。
雨が降り出し駅前食堂で昼食を取り敦賀のわたなべ旅館を歩いて捜す。
旅館では九州から送っていたランドナー車を組み立てて 第1ステージ午後2時
〜約3時間ほど大雨の中を気比の松原〜敦賀港〜市内約15Kほど走り街を見て廻る
 8月16日曇り晴れ いよいよサイクリング本番スタート 雨もあがり旅館を午前6時
出発 第2ステージは敦賀〜木之元〜八草峠〜横山ダムまで国道303号線を途中
景色見ながらまた夕べ迄の大雨による川は赤土色に染まり濁流と化していた。
山岳コースの八草峠はトンネルを通らず通行止めになっていた旧道に入る道幅は
2mほどのところもあり途中土砂崩れあり岩が転がり、水が川のように流れるところ
あり、薄暗い峠道はだれ一人あわず時折木陰から急に鳥たちが飛び出し音をたて
恐い感じ・・・
それでもゴールめざして自転車と荷物で30kgあるのを押したり、乗ったりしながら
横山ダムには午後2時頃着く。
 83kの道のりを8時間かけてゴール やったー・・・感動する。この日は私の子供の 
長男の家に泊まり親子でお酒をくみかわし心身共いい気分で食事を取る。
親子水入らずのひとときを過ごす。

「日本海(敦賀港)〜太平洋(名古屋港)サイクリング」    平成17年9月2日

 8月17日晴れ 午前6時出発第3ステージは横山ダム〜大垣〜関ヶ原〜養老〜養老の滝〜長島〜名古屋港〜桑名・・・スタートは揖斐川上流から右岸コース南へ走る 川と森と美味しい空気に包まれ朝靄の中を気持ちよく走る 6時30分頃 人、車も見かけない所でラジオ体操の音楽が心地よく流れてくる。ほのぼのとした気分心豊かになる 自然が私に応援しているようだ。大垣まで32km 21号線〜旧中仙道を走り 関ヶ原まで50km午前10時30分頃着く古戦場など見学して昼食をとる一息入れて11時30分養老町に向かって走り出す。
 日ざしもだんだん強くなってくる。 水分、糖分、塩分(梅干し)をとりながらまた日ざし対策をし養老の滝へと向かう 脇道から入ったのか なかなか瀧まで着かない、
途中自転車を押しながら登って行く茶店に立ち寄り冷たい氷水をいただく親切にしていただいた・・・
 ここが今日のゴールでないのであと1kmくらいで登るのをあきらめる68kmまで進んでいる またひとふんばりしてペタルを回す午後5時目的の名古屋港にゴール敦賀港をでて2日で200km走り目標達成する。それから宿さがしに桑名まで走る。 万博のせいでホテルの空きがなくやっと探し出しセントラルホテルに午後6時に着き今日の宿にする。朝6時に出て夜6時まで走り12時間かけて120km走った。
夕食はホテルの部屋でゆっくりするため APITA(コンビニの大きい店)で食事を調達する。
 8月18日晴れ 桑名のホテルを午前9時30分
出発.。第4ステージ好天気の中、 桑名のハマ
グリで有名な街をあとにして国道1号線を東に
向かって走り出す。目標は昨日達成してるので
今日はいい気分である。名古屋駅に着いたの
が午後2時10分〜名古屋城を見学。 朝スター
トして32k。
 今日の宿は千種区の次男の家をめざして都
会の中をランドナーのペタルを軽やかに回しな
がら午後4時45分到着43km走る・・・。
早速シャワーを浴びて荷物の整理をする。以外
と疲れていない元気である。ビールはうまいし
食欲もある。
 8月19日晴れ 午前7時30分第5ステージ名古
屋市内を散歩気分で約10kmほど走る。これで
今回の自転車の旅は終わる。サワイサイクル
店にお世話になりランドナー車を分解箱詰めに
する。 お店の方から送っていただく。
 午後9時30分発名鉄バスセンターより夜行バ
スで福岡天神バスセンターまで明けて20日午
前9時我が家にゴール・・・
 14日の出発の見送りに三男夫婦。 19日の
帰りの見送りに次男夫婦。 ゴールは妻が、
それにみなさんの心からのご協力により楽しい
思いでがいっぱいの旅ができたことに
感謝します。

日本海(敦賀港)〜太平洋(名古屋港)サイクリング」終章 平成17年10月1日
「自転車屋人生の思い出」            平成17年11月5日

 本業の仕事よりも家の中のこと、畳の拭き掃除から風呂掃除、風呂沸かし。
当時の風呂は石炭で沸かしていたので、種火から火種を消さないようにみんなが入り終わるまでが大変である。
一度種火が消えるとまた初めから火をつけ、火力が出るまで時間もかかるし、苦労する。みんな一気に入ってくれたらなーと、つねづね思ったものです。

 3年間の修行を経て実用車の新しいのを組み立てることが出来ました。
木箱に入った2本のフレームに紙テープがまかれ、ガッチリした梱包である。
パーツ類はみなバラバラで、ホイル組から、またフレームには仮組立のハンドルを取り付けそれを逆さまにして組み付けていました。その仮のハンドルは地面に接するところは、穴があくほどになっていました。
それだけ道具として修理などにも使われた物です。
                                           「洋」

第3話
住み込み修業の道のりは険しく辛抱すること

「自転車屋人生の思い出」            平成17年12月8日
 第 4話  

 情報は閉ざされて まだテレビ、冷暖房なしの時代。 しもやけ、あかぎれ  自分の体をいためながらの毎日。 
ラジオはあるけど聴いてはだめ、今は情報社会当時はその反対で情報は閉ざされていました。
 そのようなある日、 大学生の方から約8cmもある分厚い百科辞典をいただきました これを覚えれば大学出の人には負けませんよと言われました。
うれしく思い私を見ていてくださったのだな〜・・・励みになりました。
 18才のころ  学問をしてない私は腕で勝負という思いでした。 当時は東京まで行くのに遠くて、交通機関も時間がかかっていましたが、 今は宇宙旅行も 夢ではない時代です。
 時代はどんどん進み、自転車〜バイク〜 自動車へと世の中はかわっているのに将来自転車はなくなるのではと不安がいっぱい。・・・そこでバイクも勉強しました。 それでも少しづつ自転車がすきになりはじめ23才のころ 自転車のルーツはフランスだと思い、その時目にしたのはスライド写真で、かっこよくスマートにスポーツ車にまたがり( モノクロでしたが)、私もああなりたい、そして一度本場をぜひ見たい、 という気持ちに引き込まれ希望がわいてきました。
「はつ春」                   平成18年1月1日

 毎年新年を迎えるごとに気分一新 これからしていきたいこと
希望などを考える。
その中でも仕事のこと、これからの人生観など・・・。
一人旅を続けていきたいね。 日本の伝統と文化の街を見聞し、
心の豊かさをもとめて・・・。

 世の中ネット時代ですが、昔から培ってきた自然の中の営みなど、
ホットさせられるところがある。
「温故知新」

                                     「洋」

「自転車屋人生の思い出」            平成18年2月1日

第5話  ボディビルとの出会い

 私が17歳の頃の真夏のある日、目にしたのが事務職で30歳代の男性で
華奢な顔立ちだが弱々しい雰囲気の人が突然、私の前でネクタイをはずし、
カッターシャツを脱ぐや上半身裸になり、水道の蛇口をひねるなり体を洗い、
タオルで拭いているその肉体は、筋骨隆々。表からはわからない、世の中に
はこのようなひとがいるのか・・・。
 何も知らない私が話しかけると、「これはトレーニングすれば誰でもなるよ」
との言葉に、私もやる気が出ました。
 数日後、本当にやってみようと思いその方を訪ね、手ほどきを受ける。
まず、ダンベルを当時粉ミルクが入っていた空き缶を利用して、鉄パイプを通し
セメントで固めたものを2個作る。それから毎日のように仕事が終わった後
トレーニング。少しずつ筋肉の表情が変わってくるのが楽しみでした。
次は、バーベル。ベンチプレス台、腹筋台を木で作りボディビルの虜になる。
 また映画などで、ヘラクレスなどギリシャ神話に出てくる剣闘士洋画はほとん
どみました。邦画では、石原裕次郎世代でした。
 1963年12月1日には新博多駅が開業、当時23歳のそのころから本格的にジムにも通いダンベル、バーベルも本物をそろえました。
 そのような生活の中で、近所の住み込み店員さん達が集まり、トレーニング
に汗を流す毎日でした。当時皆純粋で、明日に希望を持っていました。
今振り返ると、「人との出会いが運命を変える」とは、本当だなと、身をもって
感じています。
                                    「洋」

「自転車屋人生の思い出」            平成18年3月1日
             第6話 第18回オリンピック東京大会1964年

 自転車も実用車の時代からスポーツ車の時代へ
日本経済も国内生産に力がつきはじめ少しづつ生活にゆとりがでてきた頃、 
東京オリンピック開催国になりスポーツに対する理解とテレビもカラー化時代へ。
また自転車もサイクリングブームになり、そのころからドロップハンドル、
外装変速機付きスポーツ車が国内でも出回るようになる。
フレーム、パーツなどヨーロッパのものを意識し相当研究されて国産品として
作られていく・・・。

オリンピック東京大会では自転車競技も華々しくおこなわれ、
海外からは目当たらしい競技用自転車が持ち込まれる。
競技内容も始めて目にすろものばかり・・・
  *チームタイムトライアルロードレース
  *1000mタイムトライアル
  *スクラッチレース
  *4000m団体追抜レース
  *タンデムスクラッチレース
  *個人ロードレース
などがおこなわれその中でも自転車競技の花 個人ロードレースは10月22
日の最終日 東京八王子ロードレースコース(甲州街道付近)1周24.354km
を8周 トータルで195km 1国4名 45ヶ国132名の参加 各国色とりどり
のユニホームで スタート付近はまるで花が咲いたようだ。

まだ当時はヘルメットなしの無帽又はレーサーキヤップ、カスクなど
そして雨天の中でのレース 落車も多く失格及棄権者は46人にものぼる。
そんな中で のちにツールド・フランスで活躍した
メルクス(ベルギー)12位、ジモンデイ(イタリア)33位
日本からは大宮選手36位で大健闘する。
  当時の平均時速約41km 53x14のギヤで回している。

   繰り返しの連続である単調な練習こそが大切なのだといゆうことを
  自覚し、更に、限界と思われる練習の壁を破れば、
  その先には必ず栄光がまっています。----------------------大宮政志

                                          「洋」
「自転車屋人生の思い出」            平成18年4月5日

第7話  将来の目標に向かって

 1955〜1967(昭和30年4月〜昭和42年9月) 12年6ヶ月の自転車・オートバイ
の修行生活を卒業して、1967(昭和42年10月)念願の夢、目標であった自転車
店を開店。独身の27歳でした。
 店はテナント、当時借りるには貸し手市場で中々よい場所にはなく、3カ所ほど
候補地を見つけているところへ、ちょうど兄が横浜から帰ってきてたので見てもら
う。ここならよかろという所を借りるため不動産屋さんに行きました。そこで、私の
手を見て、「あなたならお貸ししましょう」と言われ、手作業で鍛えた手を見抜かれ
たのでした。これが信用というものだと、テナントそしてお金を借りることが出来て
一人前と、大人社会を感じました。
 いよいよ自分の力で道を切り開いていかねばと強い気持ちで、今まで修行して
きたことを今度は自分の店で発表することとなりました。またいろいろ創意工夫を
して、毎日が自分の思う通りに出来ていくのが面白くなっていきました。店番には
母親や叔父さんにきて頂いたことに、今でも感謝しています。
 そんな中、店番と食事を用意してくれる人と、・・・「お見合い」をして、開店5ヶ月
目に結婚しました。私の28歳の誕生日でした。
 今度は、二人力を合わせて頑張っていく。

                                       「洋」
 

「ランドナーと私」                平成18年6月4日

 自転車もいろんな目的に合わせて作られています。
そんな車種の中で今まで私が携わってきたものを上げてみました。
  
  実用車 運搬車 軽快車 三輪車 四輪車 婦人車 子供車 一輪車 
  折りたたみ車 

  ピスト ミキスト ランドナー スポルティーフ ロードレーサー 
  シクロクロス バスハン タンデム

  BMX  BTR  MTB  ATB

 長年自転車と生活してきた私にはランドナーが一番気に入っている。
これは、日本の風土にあった乗り物だと思います。
自然、神社、お寺、古い町並み、林道など・・・光  風  薫り  空気  水
音  気温等を体いっぱいに受けながらマイペースで走れる。
これは時間と心の贅沢であり、いろんなアイディアも湧いてくる・・・。
まさに至福の時だ!!
                                       「洋」

玖珠町の山小屋にて(5/2)
撮影はnorikunさん。

「7月トーク」                平成18年7月2日

           「富士山を見に行こう」        
 6月22日〜6月26日(この梅雨時に)22日午後9時30分天神発夜行バス(我が家の好きな移動コース)〜京都まで乗車した人はわずか5名。23日午前7時5分京都着、琵琶湖線で近江八幡駅下車(あきんどの里)をレンタ−サイクルで町並みを見学 日本式経営は近江商人が原点静かさと自然空間 心が和む。
このような環境はこれから先必要と感じ取れます。八幡山ロープウエイでの乗客は私たち2人やっぱり平日はいいなー。
 ここ八幡城は豊臣秀次が築き城下町を開いて近江八幡を商都として繁栄させるのに大きく貢献したそうです。因みに秀次は秀吉の姉の子として生まれ秀吉の養子になり一度は関白となるが秀頼の誕生により後継者を巡り自害させられました。
享年28才この若さでかわいそう......。「たねや」のケーキ美味しかった!
 さて次は能登川駅下車バスで五個莊(ごかしょう)へ。
白壁の町並みと築150年以上の日本建築 近江商人蔵家敷など見学。時間があれば伊吹山に登るつもりが時間も足りずすっかり忘れてしまい養老線池野駅下車長男の家へ午後6時頃着そこから車で名古屋まで今日のお宿は次男の家。
家族そろって食事をする。
24日朝から強い日差しの良い天気午前8時40分名古屋〜東名高速道を走り目指すは富士山。つづく  おたのしみに!                                                                    「洋」  

「8月トーク」                平成18年8月6日

            「富士山を見に行こう」つづき

名古屋をでて(この時は朝から青空の強い日差しだ)東名高速道を初めて走る。富士インターより139号線に入り白糸の滝〜青木ヶ原〜風穴、氷穴を見学し富士五胡周辺をドライブ、富士山に近づくほど厚い雲に覆われまだ富士山は姿を見せてくれない。

 今日のお宿はラフォーレ山中湖。早速お風呂に入り心地よい気分になる(夜は寒い)25日朝から曇り見えない!!後ろ髪引かれながら柿田川自然公園へ。
ここは富士山からの湧水で平地の至る所から水が湧き上がり上から見ると吸い込まれそうになるところもある。沼津〜伊豆修善寺温泉で新しくできた町営の温泉風呂に入る(誰もいなくて貸し切りだ)。とうとう雨が降り出し土肥温泉へ。今日のお宿は湯の花亭。目の前が海で館内はすべて畳敷きでエレベーターの中からお風呂の湯船の中まで畳み畳みで・・・圧倒された。そこまでするか!

 26日早朝砂浜をゆかたの裾をからげ裸足で1時間歩く。気持ちが良い、波の音と歩く歩調は心地良いリズムである。土肥港〜駿河湾フエリーで清水港へ65分の船旅(ハプニング!部屋の金庫に財布忘れ間一髪)。

天気が良ければ富士山をひとりじめ出来ていたのに昨日に増しての雨。
次郎長でおなじみの三保の松原ここからの富士山を見たさに今回の旅となったのに残念!一度では見せないよ又きんしゃいといゆうことかな?それに羽衣の松がこことはしらなんだ。清水すし横町でにぎりを食べ一路名古屋まで174km全行程車で600km以上走る。

息子よお疲れさんでした。仕上げにセントレアの展望風呂で一風呂浴びる。今回の旅もいい旅でした子供達の協力に感謝感謝。            「洋」

「9月トーク」                平成18年9月1日

        「自転車や人生の想い出」            
 第 8 話  店を開くのと結婚 (開店1年目のこと)  

 1967年(昭和42年)10月1日開店〜〜1968年(昭和43年)2月9日結婚店を開くといゆうことはすべての責任が自分に押し寄せてくる、それでもそこをクリヤーしないと前に進まない。当時自転車防犯登録指定店になるにはまず自転車組合の同意と手続きが必要。交番前で組合員と街頭登録など実績を積み申請して許可がとれるまで14ヶ月かかった、古物商の許可をとるのも大変だった。また電話を取り付けるにも新興住宅地なので電話回線が少なくすぐに付かなくて大家さんのところへ借りにいっていました。
 電話機がとりつけられたのは開店して3ヶ月後になる。今では携帯電話インターネットの時代で情報が手に取るようにわかる、夢のようである。当時の行政は高飛車で何事も手続きに手間暇かかる時代でした。今から39年前の話し・・・

 開店して5ヶ月後に結婚二人力をあわせて自転車について勉強していく。
東京オリンピック後スポーツもさかんになり 自転車も負けずに荷物を運ぶ時代からドロップハンドルに変速付きが出回るようになるいわゆるスポーツ車である。

 わが家では新しい生活を始めるため 洗濯機、冷蔵庫、アイロン、掃除機、
ラジオ、テレビ、など必要家電製品を買いそろえる。
子供(長男)生まれる

新婚 私の生活信条
1)健康で明るい生活を築く
2)幸せな生活は愛情と経済力を高める
3)夫婦円満な家庭にすること

社会面では
*ベトナム戦争の時代
*米原子力空母エンタープライズ(75000トン)佐世保港に初入港
*アポロ8号月に向けて打ち上げ
*アメリカ大統領ニクソン氏にきまる
*皇太子、美智子妃 油山にお立ち寄り
*メキシコオリンピック重量挙げ 三宅義信選手が金メダル
*ボクシング フアイテング原田の時代
                                  「洋」

「10月トーク」                平成18年10月1日

     「日本海(直江津港)〜〜太平洋(清水港」サイクリング
           2006年8月14日〜20日
 丁度10年前から計画してたことが実行の時を迎える 1年前は敦賀港〜名古屋港を完走できた。 
 今年も一人旅サイクリングで出会いを楽しみに!
装備はランドナー車に フロントバック、リヤー両サイドバック、リユック、傘、銀マット、他に生活用具一式とサイクリングに必要な物をバックにつめた。
自転車とも総重量30kgになる。
8月14日午後7時わが家をスタート博多港より東日本フエリー ニューれいんぼうベル 11000トン。 大型トラックがほとんどでそれに乗用車が積み込まれていく。
またオートバイ1台と自転車は私のランドナー車1台だけ乗船する。
お盆で満席である。
 船室は2等寝台でゆったりしている。午後10時船は博多港より暗闇の中をゆつくり港を離れていく船内は広々としてお風呂も大きい。
これから20時間の船旅の始まり。
 午前4時40分起床。東の空が明るくなるが、日の出は水平線に雲がかかっているので5時40分頃見られる。360度海ばかりで島影一つ見えない。
日本海はひろいなあ〜 地球はまるいな〜と立体的に体で感じとれた。
 午後4時ころ太陽も西に傾き能登半島が目の前に大きく見えるころ、船は湾内を右へ旋回して直江津港に入り、タグボートによって岸壁に接岸された。 このような大きな船は自力では港に横付けできないのだなーと思った。
 船はまったくゆれず、甲板にでるとスピードがでてるせいか手すりを持ってないと吹き飛ばされそうだった。 しかし快適な船旅でした。
 15日午後6時30分直江津港着下船。 ランドナーに乗って夕暮れの中を今日のお宿みなと莊へ。
 次回へつづく                             「洋」

「陸は全く見えず、海の真ん中にいる」

「コースイメージ」

「11月トーク」                平成18年11月5日

「日本海(直江津港)〜〜太平洋(清水港」サイクリング つづき                                        2006年8月14日〜20日                  
  8月16日(水)午前3時30分起床朝食は朝早い出発なので夕べからおにぎりを作っていただいく。 勝手に冷蔵庫の中からとりだして冷たいお茶をボトルに入れ、みなと莊を5時スタート。
 夜明け前の海岸線を糸魚川方面に向かって走り出す。国道8号線沿いにJR跡地を利用したサイクリングロード(約40km)がありトンネルの中は冷気が漂いひんやりする。右手には日本海を見ながら心地よい自転車の旅が始まる。
ここらで朝食にしようか・・・おにぎりがとてもうまい!もう50km位走っているだろう。 これから先は自転車で走るには最大の難所である上越〜糸魚川国道148号線(松本街道)〜白馬まで・・・トンネル、大型トレーラー、アップダウンが多く気を抜くまもなくまさに殺人コースだ。 この区間のトンネルは2500m級が2本それに大小あわせて30本以上はある。 それでも途中北アルプスの山々をみながら走る光景はつかれを癒してくれる。真夏といゆうのにまだ雪が残っているのを見るとホットするね。
 そこで出会った高校生二人組、折橋君と矢彦澤君、彼らは直江津〜長野県塩尻市の 自宅まで帰るところでロードレーサーに乗っている。ちょうどトンネルにさしかかる手前で偶然出会う私はランドナーで荷物を沢山積んで走っているのでびっくりした様子。 年の差も48才も開いていて親子以上である。 小谷(おたり)道の駅で彼らと裸のおつき合いで露天風呂に入り食事をして 今日のお宿まで一緒に走る。この第二ステージは難所コースで彼らのおかげで無事走れた
 白馬の「民宿かくひら館」に午後4時に着く若女将さんが気持ちよく迎えてくれる。 早速お風呂につかり汗を流す。タイミング良く女将さんがビールとおつまみを差し出してくれてとてもうまい!!今日無事走れたことと風呂あがりのビールは格別だ。 今日走った距離は105.8kmでした。   
 
 8月17日(木)午前3時30分起床。若女将さんの手作りで朝が早いのでコーヒーとパンでかるくいただく。また途中で食べられるようにとおにぎりとおかずそれにキュウリの四つ切りにみそをパックしていただく。第三ステージは白馬かくひら館を5時10分スタート。まもなく白馬の街並みを抜けた頃26才になる渡辺君と出会う彼もロードレーサーで直江津を午前1時に出て名古屋に帰るそうだ方行が同じなので諏訪湖まで 一緒に走る。
 夏の日差しが強く水分補給もかがせない、体が塩分を要求してくる。そこでキュウリにみそをつけて食べるとこれがうまい!これからの走りに元気が出てきた。諏訪湖に入る前の塩尻峠の長い坂道でも上りきれた。さすが女将さんそのことがわかっておられたのですね・・・ありがとうございました。 今日のコースは白馬〜大町国道147号線〜松本〜諏訪湖。 お宿さがしをして「民宿すわ湖」にする。大きな荷物をおろしてシューズもビンデングから歩き用に履き替え渡辺君とリラックス気分で諏訪湖一周17km走る途中で雲行きが怪しくなり大雨にあう。今日走った距離は117,5kmでした。            次回につづく 「白馬の民宿かくひら館」アドレスは http//www3.ocn.ne.jp/kakuhira/                                    「洋」

「難所の白馬に向かって」

「塩尻峠 下れば諏訪湖」

「12月トーク」                平成18年12月15日

     「日本海(直江津港)〜〜太平洋(清水港)」サイクリング 続き
               2006年8月14日〜20日

 第四ステージ 8月18日(金)午前3時15分起床、民宿諏訪湖莊を午前4時40分スタートまだ夜明け前で外は真っ暗、女将さんの見送りで小雨の中を太平洋めざしてペタルを踏み込む。15kmほど雨にうたれて進むと峠道にコンビニがありパンと牛乳を買ってエネルギー源にする。そのあたりから雨もあがり快調に走り出す。
 
 ところが、午前8時頃、韮崎少し手前で後車輪がパンクする。チューブを取り替えてホース付きのフレームポンプで空気を入れるけど乗れる状態までなかなか入らないそれでも炎天下のなかでこん身の力をふりしぼりやっと乗れる状態にする。
トータルで90 kg支えなければならない、前車輪に体重をかけながら走る。途中ガソリンスタンドに立ち寄り空気を補充する、これで安心して走れるようになる。午前11時10分頃、昼食にそばにとろろ汁をたべ清水港に向かって走り出す。
 
 右手に南アルプスをながめながら走り、朝の雨はうそのようでかんかん照りの真夏の太陽がまぶしい。気温もどんどんあがり私の走りを阻むようだ。山梨、静岡の県境あたり二つの峠が又私に試練を与えているようだ。坂道では6kmほどしかでないスピード。ペタル、クランクの回転力がだんだん疲労で回らなくなり上下運動の歩いて押していく方が楽のようだ、峠までやっとたどりつき下りは45km位のスピードで気持ちよく坂道を下り疲れを癒してくれる。その繰り返しで午後4時40分丁度、12時間で諏訪湖から清水港まで143、3kmついに10年前からの思いを成功する。
 
 清水駅近くの清水シテイホテルを今夜の宿として、夕食は午後7時頃ホテル近くの大庄というところで、今日のビールは格別のものだ一人で食事をしてるけどうまい。この達成感は生涯忘れることは出来ないだろう。自分の心に素直になれたところである。
 
 第五ステージ8月19日(土)午前5時起床富士山を見るためホテルから清水港の方へ散歩する。午前6時〜約30分間ほど傘雲がかかった状態で見えた。
今日は目標達成していい気分で午前10時ころから三保の松原を廻り太平洋の荒波を左手に見ながら一路静岡の石川サイクルさんを目指す。
 午後1時頃到着、店主の石川さんに出迎えていただいた。ランドナーをここで分解し用意してもらった段ボール箱に詰め込み佐川急便で自宅まで送る手配を済ませた。静岡駅まで石川さんに送っていただき、いろいろありがとうございました。
 
 新幹線で体一つで名古屋にいる子供のところに今日泊めてもらい、手作り料理でもてなされとても幸せな環境にいるのだなあーとうれしく感謝してる。
 8月20日(日)午後1時54分発のぞみ〜午後5時30分博多駅着わが家へ無事ゴールしました。
 
 おかげさまで今回の旅も、一人旅でいろいろな人との出会いで自分自身で汗していることから、感謝の気持ち・素直な気持ち・謙虚な気持ちが少しずつわかるような気がします。これからも前向きで、「がんばらなくて続ける」を私のモットーにしていろいろなことにチャレンジしていきたいと思います。
諏訪湖〜茅野20号線(甲州街道)韮崎〜南アルプス52号線(冨士川街道)〜清水港(太平洋)トータル402kmの旅は終る。                                   
                                   「洋」

パンクの修理は大変だった。

ゴールの清水港にて

「1月トーク」                平成19年1月1日
第9話 サイクリング活動始める(1960年代のころ)

 開店半年目初めてのサイクリング1968年(昭和43年)3月26日(火)晴れ
結婚して1ヶ月私28才妻19才 目的地・・・筑紫耶馬渓、今の南畑ダム
当時小学生ばかり16名を引き連れて、リーダー役を引き受けてくれた高校生の
平山、西丸、荒木君ら3人がうまくサポートしてくれた。
私と妻は軽トラックでサポートしていく。途中未だアスファルトになってないところ
もあり、小学生にとっては厳しいコースだったでしょう。
それでも無事ダムまでたどり着いて、ダムの下の広場で子ども達と一緒に弁当を食べ
サイクリングを味合う楽しい1日を過ごしました。

1969年(昭和44年)7月20日(日)サイクリングと海水浴
生の松原海水浴場まで、小学6年生4人を連れてサイクリングをして泳ぐといった
遊びを平気でやっていた頃を思い出します。
若さだったのでしょう。みんな未来に向かって明るく輝いていました。
今の子ども達の生活環境と大人社会の生活リズムも大きく変わり文明は進んだけど、
ゆとりのない時代になってきたなーと感じるこのごろであります。

社会面では
1969年(昭和44年)7月21日(月)
※月に着いた!歩いた!!地球人ついに月を歩く!
アポロ11号「静かな海」に着陸
この1歩は小さいが「人類の偉大な躍進」ア船長が第一声
まるで砂漠の上 炭粉のような月面軽々と飛び歩く月ほこり舞う荒野!
時のトリオ
アームストロング船長
コリンズ母船パイロット
オルドリン着陸船パイロット

「自転車屋人生の思い出」

「南畑ダムに向かって」

「生の松原海水浴場」

「2月トーク」                平成19年2月2日
「自転車や人生の想い出」   
      第 10 話    
      みかん狩りサイクリング活動始める(1970年代初めのころ)

 1970年元旦初日の出を見て感じたこと、私がこの地球上に誕生して30年これから先がんばるぞという血気さかんな時、日本国内はもちろん全世界が大きく変わっていくことであろうと体全身に感じとれる。

 私も変わって行くだろうと販売にも力を入れていて、当時まだスーパーにも自転車が売られてない時代にスーパーの店頭を借りて展示会、チラシをまいて宣伝をしたり店を知って頂くためのパンフレットなどポストに手配りしていました。出張修理なども、開店3年目のころはじめた。
 まだこのころの売れ筋は子供自転車主体で大人は自転車よりオートバイに目が向いていたようです。しかし親子で自転車の楽しみ方はないかな〜と考え、みかん狩りサイクリングを思い立ち、私の実家にはミカン山がありそちらの方へ・・・。
 小学生〜中学生〜大人まで往復50kmの道のりを家族ぐるみで年中行事にしました。そこには自然がいっぱいで、おいしい水、空気、太陽の下でぶた汁など作りみんなでおなかいっぱい食べていました。おわん、おはしなども竹を切って作ったり、またリレーなど運動会もして自然とのたわむれをみんなで楽しんでいたようです。

社会面では    1970年(昭和45年)3月31日(火)
           よど号ハイジャック事件

           1972年(昭和47年)2月2日(水)
           横井軍曹、ただいま帰りました。31年ぶり故国の土

           1972年(昭和47年)7月5日(水)
           天下を取った現代の秀吉
           自民新総裁に 田中角栄氏にきまる。

           1972年(昭和47年)9月29日(金)
           共同声明に歴史的調印 日中国交なる。
                        (1ドル308円の頃)
                                    「洋」
「3月トーク」                平成19年3月11日

第 11 話    
      壱岐ファミリーサイクリングツアー(1973年のころ)

 ブリヂストンサイクル主催「一泊二日のファミリーサイクリング」。
初めての企画で、リーダー全員集まり6月に講習会がおこなわれる。壱岐は皆初めての人たちで、わかっているのは「坂道が険しい」ということだけ、そこでメンバーの皆さんと本番に向かって油山で走りの練習をしていました。
 1973年8月5日〜6日大型フエリーを貸し切り、博多港を午前9時出航壱岐に11時30分に着く。真夏の太陽の下、海はどこまでも澄み切ったエメラルドグリーン、空気をお腹いっぱいすってみるああうまい・・・

 私のグループAの5班は小学生3名、中学生4名、高校生2名、大人2名、みんなで11名参加する。まだ信号機もない自然そのまんまである。
一日目は島内をみんなでサイクリング、そして夜になると旅館の部屋にグループ別に泊まり枕投げなどしてにぎわったものである。
次の日は早朝サイクリングをして海水浴を楽しむ。今から34年前のこと今思えばクルマも少ないしまだ時間の流れもゆるやかでのんびりしていたように思う。

現在はパソコン、携帯電話、文明はどんどん進んでいるけど時間におわれる毎日のようだ。このような流れは今後も続くでしょうね。

社会面では
1973年(昭和48年)今年はどんな年になるだろう!!人類が生きていくかぎり自然との調和がとれていかねばならない。新聞各紙に地球のことについて書かれている。中でもフクニチ新聞では「地球に危機がやってくる」といゆうタイトルで
毎日連載される。今思えば30数年後の今日それが現実のように思える。
今後30年後どのようになっているでしょう?

     1973年(昭和48年)1月24日(水)
       ベトナム戦争終わる。

     1973年(昭和48年)9月1日(土)
       関東大震災から50年目なる。

     1973年(昭和48年)11月14日(木)
       関門橋開通。
       海峡ハイウエー時代幕開け 
                                     「洋」

「4月トーク」                平成19年4月7日
「朝の自転車トレーニング」  

 早起き早寝を心がけると自然と時間の大切さを学ぶことができる。
真冬は朝日の出る前はとても冷え込む、手袋だけでも厚手のウインター
グローブとインナーに軍手を重ねてそれでも手がしびれる、3月になると
フルフインガーグローブ、4月になってやっと指切りグローブと
季節の移り変わりがよくわかる。

 東の空を見るのが楽しい、毎日表情が変わる。それは真っ赤に染まった太陽だったり雲のすき間から見えるオレンジ色のような太陽、霧でぼやけた太陽、黄砂でさびしそうな太陽。
太陽から照らしだされた木々の影絵など・・・月のあかりも感動ものだ。

 4月1日櫻の花は満開、今年は山の上の方から咲き始めたようです。
これも暖冬と関係があるのかな?
いろいろな小鳥たちの合唱その中でもウグイスの鳴き声を耳にする。
ホーホケキョ〜〜と普通は聞こえるのですが今日耳にしたのは      
ホーキョキョとまだトレーニング不足なのか一生懸命鳴いているがほほえましい。

 4月になると自然の生き物たちや草花から木々にいたるまで、また人々までが眠りからさめたようで活発になってくる。

                                  「洋」
                                     
                                     
     
「5月トーク」                平成19年5月7日
           「健脚組サイクリングとドライブコース」  

 東背振トンネル開通により佐賀県吉野ヶ里遺跡まで近くなりました。
コースは博多湾の那珂川下流〜博多中州〜那珂川に沿って〜美野島〜大橋〜385号線を現人橋〜松尾橋〜那珂川上流の南畑ダムにたどり着く。

 ここまで(約 24 km)来ると体にも負荷がかかり空気も美味しくなる。
佐賀橋〜東背振トンネルを抜けると、さざんか千坊館展望台にたどり着く。
眼下に広がる佐賀平野を望むと、自然の恵を受けて疲れも心地よさに変わってくる。

 吉野ヶ里遺跡までは下り坂と平たんな田園風景が広がり、いつのまにかたどり着いた。

 トータル(約41km)途中にひがしせふり温泉「山茶花の湯」もあり、
近くて楽しめるコースになりました。                  
                                    「洋」                                                                      

吉野ヶ里歴史公園内
物見櫓と支配者層の住まい

「6月トーク」                平成19年6月2日
  「炭坑節でおなじみの二本煙突見学」 

 産炭地として栄えた福岡県田川市のシンボルで炭坑節にも歌われた、二本煙突高さ45メートルが来年100歳を迎える。

貴重な産業遺産である煙突は、1908年(明治41年)旧三井田川鉱伊田抗の巻き上げ機の排煙のため、ドイツ製などの耐火れんが213,000個をつみあげて建設されたものである。

 「あんまり煙突が高いので さぞやお月さん けむたかろう」と炭坑節にも歌われ国内有数の年間100万トンを出炭した炭都、田川の象徴として今も市民に親しまれている。

64年に同抗は閉山。
全国各地でも炭坑施設が次々と取り壊される中、二本煙突は田川の最盛期を伝える遺構として生き残り、後世へ残し保存されていかれることでしょう。

  コース・・・JR福間駅から車で〜内殿〜三坂峠〜山口川〜遠賀川〜
         赤池町〜中之寺川〜田川  約47km                                                                                   
                                      「洋」

撮影 : :5月21日 船越

「7月トーク」                平成19年7月3日
                「ドライブとサイクリングと温泉」  


*金立公園からサイクリング

 6月4日、晴れ。車に自転車をつんで東背振トンネル(1411mm)を越えて佐賀市の「金立公園」までドライブ、車から自転車をおろし組み立てて初夏の日差しの中、肌に草花の香りを感じながら大和町の花しょうぶ園までサイクリングする。

 見事にきれいな花たちが私たち夫婦を迎えてくれる。
花畑の中での昼食は少しの空腹と心地よいつかれとがミックスしてとてももうまい。再び金立公園まで往復約20kmのサイクリングでした。

自転車を車につんで「熊の川温泉」に向かってドライブ、
元湯 熊の川浴場につかり三瀬トンネルを越えてわが家へ!!

*山包の道を走る                                 

 6月18日、曇り雨。今日も車に自転車をつんで県道31号線を久留米方面へと走り筑後川、片の瀬公園(赤い橋の下)に車を止めてそこから筑後川サイクリング道路を走り途中から田主丸駅方面へと・・・丁度田植えの時期で機械植した後の苗の手直しを老夫婦の方が腰をかがめてしておられました。
 
 私も子供の頃そんな経験があるのでご苦労がよくわかります。いつまでもお元気でと心の中で思いつつ未納連山すそ野の山包の道(5,7km)へと走る。
ぶどう畑の青い実やびわの実の黄色(食べ頃)や木々のみどりに包まれ自転車で走るのも気持ちよい。

 今日の昼食は巨峰ワイン工場の山手にあるしゃれたレストラン「ワインの森ホイリゲ」 急斜面を自転車をおしてたどりつくと大雨になる。雨音をききながら時間をかけた食事 
 美味しい!!(空腹のガス欠に陥っていた)。

 雨もあがり再び自転車で掛け流しの天然温泉、「みのう山荘」に立ち寄る。
眺めのいいお風呂につかり気分最高!そのころまた大雨になる。
自転車に乗るときは雨はやみ、自然のリズムと行動できて楽しい1日でした。
                                         「洋」
「8月トーク」                平成19年8月1日

        「自転車や人生の思い出」  
第12話   

 1963年〜1974年頃 日本製のいい自転車がよく売れた時代

 フレームから部品までそれぞれの専門分野で一生懸命研究してものを
作っていた時代、それでも互換性はあって作り手と乗り手が楽しめました。
当時はその良さがわからなかったけど、今振り返って見て古いパーツを
ながめて見ると手間暇かけて作られたのが伝わってきます。

 今現在の製品は機能は数段よくなっています。しかし心に思い出として
のこるのかな〜と・・・ちょっと疑問を感じます。これも時代が進んで
いるのですね。
 自転車もどんどん売れるようになり、量産体勢になっていたころ
第一次石油ショック、トイレットペーパーがなくなる騒動・・・
日本全国民が何らかの危機感をいだいた日々でした。

 これを境に物作りも大きく変わっていく!!
写真は40年前の旧店舗、サイクリングで集まるのはほとんど子供達で
ドロップハンドルかセミドロップハンドルに乗っていた。
右にのびる道は福大方面だが何にもない。            
                           「洋」

「9月トーク」                平成19年9月1日

            「西九州サイクリング」        
 真夏の強い太陽の日差しを体いっぱいにうけて生月島へ    
2007年8月14日〜16日 2白3日の一人旅 コースは・・・  1日目(8月14日) 長住を午前4時10分スタート、まだ真っ暗である〜やよい坂〜現人橋 (国道385号)〜南畑ダム〜東背振トンネルを抜けて板屋峠を下り 東背振インターより高速道脇を進む
東からでたばかりの真っ赤な太陽を 背に受けながら西へと気分良く快調に走る

 途中川があるが橋はなく進めなくなったり 何度か迂回しながら鳥栖川久保線(県道31号線)へと方向チエンジ 大和インターから小城バイパス(国道263号)佐賀金立公園、ショウブ園を右手にみながら (県道48号線)〜多久市街(国道203号線)〜北方町馬神トンネル〜武雄北方インター 〜午前11時すぎ武雄市街の食堂で昼食、朝早く出発したので今日初めてのまともな食事となる。
(国道35号線)を有田の方へ有田焼の街並みを見学、お盆休みなので街並みは静かである。 〜今日のゴールは佐世保駅に午後2時50分に着く。(10時間40分かけて121.6km)走る。  
 今日は雲が多めにでたので日差しをさえぎられて助かる。  それからお宿さがし佐世保駅前 佐世保第一ホテル(ビジネスホテル)が予約できた。 

  2日目(8月15日) ホテルを午前4時55分スタート佐世保のコンビニで朝の食材と水を買う〜11号線を相浦方面へ 雲一つない上天気である海岸線の複雑な海辺のコースを取り18号線を北上午前8時頃 日本本土最西端地、神崎鼻に着く。
きれいな海と塩の香りが心地よい〜鹿町にでて 18号〜204号線をアップダウンのきびしいコースを通ると前方に真っ赤な平戸大橋見えてくる。 自転車は大橋通行料無料。
 
 「わ〜平戸まで来たなー!」大橋の上から眺める景色は海と空の色が同じで どこまでも青く青く、すいこまれそう!今までのつかれを癒してくれる。 平戸大橋をあとに19号線をここも海岸線でアップダウンのきびしいところです。 荷物を積んだ自転車で走るには体力がいる。 太陽の日差しはきびしく、水を飲んでも飲んでも蒸発するようだ! 何度目かの峠に差し掛かるともう自転車を押して下りになるまで歩く・・・ 12時55分(8時間かけて79.8km)目標の生月島大橋を渡る、通行料はいらないが自転車は 押して渡らなければなりません。 ここの大橋は青色で海と空と島々が一体感をなしている。
 今日のお宿は住の江旅館ここは予約しておきました、午後2時30分頃着く。暑いさなかなので 旅館で休憩、早く着いたけど気持ちよく迎えていただく。 午後3時30分ごろから生月島一周のサイクリング。まず東側の道路を北に向かって進む 又アップダウンのきびしいコースを大バエ灯台まで走る。南北の細長い島で北端にある 灯台からは風力発電の風車や周囲の島々の景色が一望に見える。 今度は西側の広域農道をきびしい西日を浴びながら走る、島一周約20kmでした。 午後6時15分ころ旅館に戻り、早速お風呂につかり 冷房の効いた部屋でビールでのどを潤す。新鮮なお魚に鯨、お料理は残す物なく 美味しくいただきました。

 3日目(8月16日) 午前3時起床3時55分旅館をスタート今日は生月島から一気にわが家まで帰るつもりである。
 島はまだ真っ暗、旅館をでて橋を目指して進んだつもりが道に迷い1時間ほど島をうろうろ (まともに行くと20分くらいのところ)早朝で人はいないし道を聞くにも聞けずやっと橋の明かりを見つける。
 平戸〜田平〜松浦〜伊万里湾岸大橋を抜けて峠越え〜唐津で午前11時45分になる。 浜玉市街より(午後2時30分頃)七山越えのコースをとる。ところがこの暑さ40.9度を記録した 国内最高気温の日である。2時間かけてゆるやかな坂道を馬川までたどりつく。
 民家に立ち寄り 道を尋ねると北山ダムまではまだまだあり自転車では大変でしょうとのこと。昨日はアップダウンの洗礼を受け今日もこの暑さと荷物の重さと坂道で体をいやと言うほどいじめている。 ここは引き返す勇気だと思い、ここまで2時間かけて来た道をアッと言う間の20分で浜玉まで戻る。
  202号有料道を東へ進む〜福岡前原道路下を走り〜外環状線〜福大〜堤〜長住ゴール。 午後7時55分(16時間かけて199.1km)走る・・・トータル400.5kmの旅でした。

  「今回のツーリング車一人旅で感じたこと」
*目的地をはっきり持つこと。
*暑さ対策はフロントバックに500mmペットボトル3本を冷凍にしぬれタオルをボトルに巻き 付けておき、代わる代わる首に巻きつけかえると暑さをしのげ、顔や手などもふける! *肌に直接太陽光線が当たらないように対策を考える!(日焼け止めクリーム必要。今回 は茹でタコに なる。)
*ツーリング車は上り坂にかかると重量(自転車と荷物で31kg)があるためきついのでペタ ルが 回らなくなる。そのため押して行くと脚の上下運動で筋肉をほぐし下りはペタルが  廻り安定して走れる。(押して行く事も必要である)
*ヘットライトは街灯もない田舎道を走るには旧タイプの裸電球の光が周囲の感覚と道路 事情もわかり やすいし自然にも優しい光である。  今のLEDライトは車が多く街が明る い都会でのライトである。(攻撃的な威圧感を感じる光だ、しか しトンネルは最高)
 今度の旅でそのことが良くわかった。
*コンビニはオアシスである。涼しくて食料、ドリンク、水等栄養補給出来とても有り難い!*少しの雲でも太陽光をさえぎるとエネルギー消耗が助けられ木陰の道を走ると力が出て くる。  (天候により大きく変わる体の機能を身をもって知りました)

大バエ灯台
 生月島

生月島大橋

「10月トーク」                平成19年10月1日
 1975年頃 あこがれのカンパ  ブリヂストンサイクルより「グランヴェロ」GV-RRがハンドメイド 製作される。
 フレームチューブはレイノルズ531バテットでマンガンモリブデン鋼フルセット。
ラグはチネリ、エンドはカンパ、ワイヤー類はオールバンド締めの時代・・・ 。
パーツはカンパニョロレコード・フルセットでニジー、クレメン、ユニカなど ヨーロッパの一流パーツがアセンブリーされている。

 まだツールド・フランスなどテレビで見られない頃にプロが使用しているのと 同じパーツを見ながら我が手でこのロードレーサー「グランヴェロ」GV-RRを組み立てる。 1975年7月の事である。とてもきれいな車でした。
 30数年が過ぎた今でもその輝きは色あせず 心に残る一台である。
今その自転車はどうしているんだろうか・・・会ってみたいな〜 

  因みに当長住サイクルは10月1日で満40年になりました。沢山の人達と出会え又助けていただいて、今があるんだとしみじみ感じます。感謝!!、感謝!!

「自転車や人生の思いで」      第13話

「11月トーク」                平成19年11月1日

「自転車や人生の思いで」                   第14話
       
第2回 みかん狩りサイクリング    
 1975年11月3日 午前8時30分スタート、自転車に乗って行く人40名(小学生〜大人まで)  自動車で行く人10名みんなで50名のサイクリング、子供から大人まで小さい子から  一列に並ぶ長い列となり、まだ車も今ほど多くなく時間も余裕があったようです。 
 
 コースは長住〜下長尾〜田島〜別府橋〜大濠公園〜西公園下〜市民会館前  千鳥橋〜3号線〜香椎〜下原〜立花〜青柳〜神田のコース・・・  約2時間20分かかる。

 秋晴れの青空の下でみかん狩り・・・みな楽しそうである。  皆さんそれぞれの家庭での手作りのお弁当をひらいて自然の中でいただく。  とても心地よい気分になれる。午後1時頃から近くの青柳小学校の運動場を借りてゲームやリレーなどして遊ぶ。午後2時30分、帰りのスタート、コースは二日市線を通って山田の交差点を右折多々良〜土居〜篠栗線に出て〜板付通り〜比恵〜平尾〜野間〜長住   
往復約50kmを無事全員完走する。帰りは少し早くなり1時間40分で着く。  
皆様から大変喜ばれました。                           

社会面では
 1975年3月10日 博多新幹線開業  
 1975年11月7日 博多大丸デパート呉服町より天神に開店                                    「洋」

「12月トーク」                平成19年12月1日
 家を建て替えて9年目を迎える。家も自転車と同じで手入れが必要。

今回は外回りの塀、壁、屋根のペンキ塗り、シロアリ駆除をする。
これだけの作業をするのに関わってくる人たちの無駄のない、時間通りの仕上がりに感心する。

 最初と最後の足場、ペンキ塗り前の養生は大変だ。
約2週間で仕上がるがその前後の片づけ、整理が大変である。

 少し早めのメンテだったけどこれで安心して次のステップへチャレンジできそう。 自転車も早めの点検整備が必要です。安全のためにも!!
     
                                   「洋」

「家のメンテナンス」

「1月トーク」                平成20年1月1日

「フロントリデーラーについて」  

 08モデル某ブランドのクロスバイクを組立てたが変速調整に手間取る!!  
それはフロントトリプルギヤのことで、フロントリレーラーをトップからローに替えるときセンターギヤにおさまらないのだ。

 しかしローからトップへは  きれいに切り替わるのである。
だから調整に手間取る!!  

それでも直らないのでリレーラーに問題ありかな??と考えた。  
今までのいろんな経験の上で調べる内にわかった。  
BBの軸長の長さに原因がありました。完成車についている軸長は110,5mm  を113mmに取り替えるとスームズに変速ができるようになった。
 
 新作の完成車だからそこまで疑わなかったのだが  こんなに手こずったのは初めてのことだった。何事も勉強だ!                                                                         「洋」

新年あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いします。

「2月トーク」                平成20年2月1日

 ルーフキヤリヤのこと
これからのサイクリングを楽しむために1976年8月30日トヨタピックアッ(1800cc)
にイタリア製のLPルーフキャリヤを取り付ける。
ロードレーサーなど2台を正立式に積み 子供自転車は後のボックスに乗せたりしてサイクリングに出かける。

 まだそのころは自転車を自動車の屋根の上に積んで走ることは珍しく注目される。
行動範囲も広くなり自然の中でのサイクリングと温泉を楽しむ!! 
        
社会面では
   1976年 2月 3日 鹿児島で5つ子赤ちゃん誕生
   1976年 9月10日 天神地下街オープン
   1976年 12月23日 自民新総裁に福田赳夫氏 議員総会で選出
                                      「洋」

「自転車や人生の思いで」    第15話

「3月トーク」                平成20年3月1日

2008年2月9日で満68歳の誕生日です。また結婚40周年(ルビー婚) を向かえました。

子供達より真っ赤なバラの花束40本とディナーへの招待券 が送ってくる。
おもいがけない心のこもったお祝いをいただいて、 家族愛に感謝しています。

体の続くかぎり生涯仕事をつづけていかれたらな〜と思います。
また新たなスタートラインに立ちこれからも素直な気持ちで日々の生活に、 笑顔が沢山でるようになりたいですね。
                                       「洋」                          

「誕生日が結婚式と同じ日」

「4月トーク」                平成20年4月1日

第16話  「自転車や人生の思いで」 

   
 工場見学 1977年4月4日ブリヂストン自転車鳥栖佐賀工場見学!!
長住サイクルより西鉄バスを貸し切り49名の人たちと工場見学に行く。
自転車のできるまでの行程を子供達と一緒におどろきの眼で見学しました。

 なかでも世界5カ国の特許をもつダイカスト製法(フレーム製作)には これからの時代の物作りだな〜と、感じました。 また女工さん達がフェンダーやフレームに手書きで金線引きを入れられる仕事ぶりは熟練の技と感の良さを見せつけられました。
 これはアナログの仕事!! これからはハイテクとアナログをうまく調和 していかなくては・・・と思いました。
  
 とても良い天気だったので筑後川のかわべりに腰をおろし、 遠足みたいな気分で、べんとうをひらいてみんなでいただく。
午後3時30分ころそれぞれの思いを心にとめて帰って来る。

 社会面では                                
 1977年1月21日 カーター米大統領就任(52歳)
 1977年2月16日 福岡地方大雪氷点下5.2度まで下がり、
            ものすごく冷たく寒い
 1977年7月23日〜24日 第1回長住まつり
 1977年8月7日  北海道有珠山が大噴火不気味な地震続く
 1977年9月17日  曲尺、鯨尺が19年ぶりに復権メートル表示つき                     

「洋」

「5月トーク」                平成20年5月1日

 朝日を浴びながらのどかな田舎道歩いていると、自然の営みがよくわかる。 小鳥たちのさえずり、それにあわせたように木々の新芽、草花が 新しい命を膨らませている。

 大きく深呼吸する・・・ ああ〜うまいこの空気!自分もこの自然の中に生かされているのだな〜と 心を洗濯される。
 
 野いちごの花を見つけ少年時代を思い出す。左右のポケットに 衣服が真っ赤に染まるまで、いちごを沢山つめこんでもちかえったり 小さな竹を見ると杉鉄砲や紙鉄砲作った思いでや、小川を眺めていると 魚釣ったり、すくったり。

 ウナギ捕りは夕方仕掛けて朝早くとりに行くなど 勉強はそこそこに・・・
自然相手に遊んだことがよみがえってくる!!

 今振り返るとそこから学んだ事が沢山ある?仕事にも生かされる。 たまにはボ〜とするのもいいものだ・・・                                                                 「洋」

「古里の田舎道を歩く」

              「輪行サイクリング」    
夫婦で輪行サイクリング・・・5月6日〜7日JR博多駅よりリレーつばめで、 車内に輪行袋をセットして朝食のおにぎりをいただく。

 新幹線川内駅に午前8時55分着〜オレンジ鉄道にのりかえ東市来下車 駅前で自転車を組み立てて10時スタート五月晴れの田舎道をサイクリング、 とても気持ちいい〜〜国民宿舎吹上砂丘莊に荷物を預け吹上浜砂の祭典へと向かう
途中魚やさんに立ち寄り、とれたての魚をさしみでいただくとても美味い〜 すこしパワーがでてきた。

 浜砂の祭典を見学、実物を見ているような細部までの 作りにため息が出る。帰りは地元の年輩サイクリスト二人にサイクリングロード までの道案内をしていただく。とてもすばらしい加世田日吉自転車道を 気持ちよく走る。午後4時頃今日のお宿につく60kmのサイクリングでした。
国民宿舎から少し自転車で走り吹上温泉大野屋の露天風呂に行く (ここは源泉でヌルヌル感二重○・・・穴場です。)

  7日今日も良い天気にめぐまれ枕崎へと午前8時40分スタート まっすぐな広域農道を走る、道路は貸し切り状態で人も少なく信号もない 丁度午後0時頃目的地に着く。枕崎駅は少し奥まった所にあり無人駅だった。 駅前で昼食をとり指宿方面へと走り途中の枕崎なぎさ温泉に入る。 (源泉の露天風呂から東シナ海を眼下に開放感バツグン・・・お薦めです。)

 枕崎線塩屋駅(無人)で自転車を袋につめ午後3時53分電車に乗る。
今日の自転車の旅はここまで47km走る。(2日間で107km) 今話題の篤姫のまち鹿児島中央駅より午後8時12分発の新幹線つばめに乗り 輪行サイクリングの旅は終わる。

「6月トーク」                平成20年6月1日
「7月トーク」                平成20年7月1日
 この車を見て、自転車組立修理技術者見習い時代、 実用自転車ばかりを油まみれに修理作業をしていたころのことをなつかしく思い出す。
 もう乗れない状態の自転車を、乗れるようにするために、だめな部品は取り替えて 分解掃除を引き受ける。!! (列車にたとえると、今のロードレーサーは新幹線、この自転車はSLみたいなもの)

 幸いにもこの自転車のためにあったような部品を取り付けることができました。 新しい部品に取り替えたのは・・・
    *BE鉄リム・前輪スポーク穴32 後輪スポーク穴40
    *スポーク・前輪14-280mm6本組 後輪13-279mm8本組 (後ハブは
      引っかけ式)
    *BEタイヤ耳つき・チューブは英式バルブ
    *ロット式・前ブレーキゴム、後ブレーキ引き上げ棒(加工品)
    *チエン・DID 旧タイプ 2/1x8/1-104L
    *前後輪ハブ・玉押しとボールベアリング
    *ハンガー・クランクコッタード式のボールベアリング
    *ネジ 小物類
    * 付属品・カギ、ベル、発電ダイナモ6v6w

出来上がりは重量感あり安定したのりここち。
今の時代に のんびり走るにはいい気分!。      30歳のF様用自転車    
                          「洋」

「50年前の仕事がやってきた」     実用自転車の再生!!   

「8月トーク」                平成20年8月12日

 「夏休み」    
  
 岐阜の長良川花火大会---レトロな自転車屋さん---中仙道---奈良井宿
    7月25日夜から29日夜まで4泊5日の夫婦での旅                              
 
 7月26日
 レトロな自転車屋さんにいくため駅前のレンターサイクルで片道約8kmを(電話連絡とれずに)地図をたよりにさがしもとめてさがしだす。
あったーとハートにひびくものを感じる。
 50年前にタイムスリップ、初めて会ったのにご主人様は気持ちよくうけいれていただいてみたらしだんごのお店に行きごちそうになる。
 同じ世代で話もはずみ・・・いろいろ勉強させていただきありがとうございました。
 
 夜は岐阜駅横のスカイアークスの子供のマンションに泊まり長良川の花火大会を見る。
 25階からの眺めはすばらしい!!3万発の打ち上げ花火は目線が平行で天を仰がなくてよく・・・  とてもきれいでした。
 
 7月27日
 レンタカーでひるがの高原から白山方面の白山白川〜白水湖に行く。コバルトブルーのとても神秘的なダム湖をみながらの露天風呂は最高!!
午後3時ころ山の中で滝のような大雨にあう・・・

 7月28日
 名古屋駅から特急信濃に乗り日本一の宿場街、中仙道の奈良井宿を見学
1kmの街道をのんびり歩いて江戸時代にタイムスリップし、テレビでおなじみの水戸黄門さまがヒョイとでてきそうだ!!そばと五平餅おいしかった。

 7月29日
 どうも僕は3日も自転車をさわらないと体の調子が悪くなるようだ、ぎっくり腰の前兆が出たのでマッサージをしてもらいに行く。
奥さん曰く 一日中下界との接触なしでゆっくり休むと(電話なし人の声なし見えるのは青い空と雲だけ)
なんだか無人島に行った感じでたまにはいいねーとご満足???。
 お世話になった子供の部屋の掃除をして
 午後10時30分頃我が家につく夏休みの旅でした。               「洋」

中仙道 奈良井宿
 江戸時代「奈良井千軒」と
 言われ、大変栄えた。

「9月トーク」                平成20年9月1日

   展示会のこと

 自転車が今のようにどこでも売られてない時代
 
   *1970年3月13日〜15日3日間マルタマストア前で展示会

   *1977年4月19日〜25日7日間岩田屋デパート新館地下道で

 春の一流メーカー自転車グランドフエアー
 進輪会グループ10名で行う。
 
   *1978年4月1日25日2日間サニー店頭にて大展示会

  展示会とは相当エネルギーを使うもので疲れる。
 けれど行動したことに答えがある。

  「 1977.4.1今月の指針の言葉に」
     (!機会は努力する者を訪れ怠ける者から去っていく!)
   この言葉にひかれて若さにムチを打ちがんばる。

 社会面では                         
 1978.12.1 大平新総裁誕生
       はがき10円の時代
                                 「洋」

 第17話   「自転車や人生の思い出」

マルタマストアでの
 展示会

1970(昭和45)年3月

「10月トーク」                平成20年10月1日

 第18話   「自転車や人生の思い出」    
 
 「そろばん」との出会い

 昭和25年(1950年)小学5年生の時 担任の先生より将来の希望、職業について作文を書きなさいと・・・そこで私は自転車屋さんになりますと書く。

 又当時の校長先生はそろばん指導が上手で5 〜6年生の希望者を自宅に招いて週1回位夜間に「そろばん」を教 えてくれていました。(先生は今の言葉でボランテア)でした。 私の家は田舎の人里からはなれた一軒家なので夜遅くなると、友 達の家に泊まり朝帰りをしていました。

 そのころは学校から帰るとカバンをおろすなり、私は農作業の手伝いが日課でした。手伝いが終わると勉強もそこそこに川や海での魚取りや山菜採 り、神社やお地蔵様のあるところに集まってはパッチやラムネ、 駒回しなど諸先輩達の教えの中で夢中で遊んでいましたがそろば んだけは続けていました。
おかげさまで昭和28年に福岡商工会議 所で珠算能力検定三級合格!!

 当時の思い出として検定終了後受験生は先生に連れられて
福岡中州の玉屋デパートへ、初めての博多へ・・・人がたくさんいる!みんな壁の 上の方をみている!時計の針みたいなのが動いて突然扉が開き
何も知らずに大人達の中に巻き込まれ押し込められてきゅうくつ になり、背丈が小さい私は何が起こったのかわからず怖い思いを したことが思い出される。
後でエレベーターと言う階段の代わりになるものだとわかる!!。
 今、想うには(田舎の自然の中からいきなり都会の中へ出てきて 機械文明を知っていく。自転車屋人生はここから始まっていたの だな〜と・・・)

58年の歳月が過ぎた今、改めて原点を感じます。
ここまでこれた私は先生に感謝します。

*当時の日本珠算連盟名誉会長    文部大臣 大達茂雄
                           「洋」

ウナギを捕る仕掛け
   「もどらず」

当時買っていただいた 「そろばん」

「11月トーク」                平成20年11月1日
      「輪行サイクリング」    
 
 10月6日〜7日 長崎県長崎半島野母崎〜樺島往復サイクリング

 6日=朝博多駅から特急かもめに乗り長崎駅に午前8時35分着
(約2時間)輪行袋から自転車を取り出して組み立てる。

 浦上天主堂〜平和公園を見学して中華街へ、腹ごしらえをして
夫婦でのサイクリング、国道499号線を南西に延びた野母岬目指して・・・
初めてのコースで長崎は坂が多くて自転車は・・・と聞いておりましたが、
市内は六角交差点が多く自転車は歩道を走らなくてはならないような環境です。
石畳は体にきびしい。車道は自動車が多く、自転車で楽しく走れるところではない
ようです。そのよなところをくぐり抜け、坂を上り下りしながら右手に海岸線を眺めな
がら走られるところまでくると軍艦島が見える。
最高のロケーションになり疲れもとれる。ソフトクリームを食べながら一休み!!

 今日の宿は「陽の岬温泉海の健康村」すぐそばには軍艦島が見え冬場は
野母崎すいせんまつりで有名だ。午後3時頃つく、荷物を置いて権現岳〜樺島大橋
と岬をサイクリングする。これが又きつい!!
夕日はあいにくの曇りで見られないが大海原を眺めながらの温泉は又格別で
疲れも爽やかさにかわる。

 7日=宿を午前9時30分長崎駅に向かってスタート
長崎野母崎自転車道(半島の背骨にあたる部分が専用道)自然の中に作られた道を快適に走る、とても気持ちよい。途中サイクルロッジ谷口様に立ち寄りコーヒーをごちそうになる。
 帰りの見どころなど聞きそのコースをたどる。女神大橋〜日本一古いそろばんドック「正式名小菅修船場」(船を引き揚げる滑り台日本最初の洋式近代的ドック明治元年1868年完成今は重要史跡)を見ることができた。

 このサイクリングで近代的な出来たての女神大橋と140年前完成したそろばんドック、この歴史落差の大きい鉄の建造物を見て時代の流れを感じとれる場面である。

 長崎駅に近づくと人の山、今日はおくんちだ〜、駅前広場での三味や笛太鼓の音を聞くとうきうきしてじっとしていられずに「祭りはいいなー」と奥さんは見に行ってしまう。
僕は人混みの中で自転車を輪行バックに詰める。すぐかもめに乗り込み博多駅に午後5時10分に着く。
旅の思いでをつめて我が家へ・・・!今回は自転車で80km走る。
                  
                      「洋」
「12月トーク」                平成20年12月1日

「交通事故」    

 生と死の狭間で・・・ 1秒の差で人生は変わるんだ!

 丁度今から1年前の12月1日午前5時40分頃自転車でトレーニング中に後ろからいきなり自動車に追突されて吹っ飛んだ!! 

幸いに歩いている人に助けられて救急車で病院に運ばれた。
頭部、右肘関節、骨盤、右肩打撲傷にあう・・・大きなけがはなかったがヘルメットのおかげで命拾い・・・ヘルメットは割れ、めがねもこわれ、むち打ち状態がしばらく続く・・・道路を歩くのも恐怖感があり「トラウマ」とはこのことだと身をもって体験する。

 事故から1年たった今は自転車も乗れて普通の生活ができるまでに戻ってきた!!(奥さんは事故の後、急性胃炎で苦しんだ。心配させてごめんよ!)

 自分が気をつけていても災難はいつおこるかわかりません。
自転車に乗るときはヘルメットをかぶりましょう。
                             「洋」

「1月トーク」                平成21年1月1日
{Yojiのフランス一人旅} その1    

 今から20年前 1989年2月1日〜15日までフランス一周一人旅  がはじまる!・・・(1フラン24円の時代)
目的
*フランスの文化と歴史を勉強したい。
*自分の仕事を見つめなおしたい。
*将来のための知識を高めたい。

 23才の頃フランスの自転車事情をスライドで見る。カッコよくスポーツ車にまたがっていた人にぜひ会いたいと思う夢は捨てきれず25年の歳月がすぎて夢が実現しました。それもパッケージ・ツアーでなく一人で旅すること(不安もあるけど)。1989年2月1日いよいよフランス行きの日がやってきた。・・・

 一人旅のスタート福岡空港より KOREAN AIRでソウルまで、そこでジャンボ機に乗り換えてアンカレッジへ着陸、空港で休息、雪と氷に閉ざされた空港は別世界・・・パリに向かって順調に飛んでいる。18時間の機内では日本人は一人もいないようでした。

 ドゴール空港着陸寸前にふかい霧に包まれ着陸できず、ドイツのフランクフルトに着陸3時間の足止めにあいトータル6時間ほどのロスになる。ドゴール空港に朝早く着く予定が昼すぎになる。
 空港からバスでパリ市内へ。この旅では、ホテルはなにも予約していないのでまずは今夜の宿探しから始まる。貧乏旅行なのでユースホテルを見つける。1泊166フラン(約3900円)の宿に大きなリュックを部屋におろして、シャンゼリゼ大通り〜ドゴール広場〜凱旋門と見て回る。フランスにきたんだ〜わくわくする。 
目に映るものすべてが初めてですごく感動する。歩き回ったところで汗びしょり、カフェで一休みしビールを飲んだ。このビールがうまいこと少し緊張感がとれる。
 夕食は L'Kpenr de Lamen にて魚料理にワインで112F払う。家を出てから機内食ばかり、やっと!まともな食事にありつける。美味しい〜。出発から神経を使い8時間の時差やハードな行動と風邪ぎみで疲れた。風邪薬をのんでパリの初めての夜を過ごす。
次回へ・・・ 

                           「洋」

 「第19話 自転車屋人生の思い出」 

雪と氷の、「アンカレッジ空港」

パリ、リニューアル中の「凱旋門」